第1章|楽しかった「ものづくり」の記憶
「やりたい」に夢中だった幼少期
小さい頃から私は、自分のこだわりに頑なで、やりたい気持ちに真っすぐだった。
我が家には父がユーホーキャッチャーで取ってきたぬいぐるみが箪笥にズラリと収納されていて、その数は100体ほど。そのひとつずつに丁寧に名前をつけて、一人で黙々とごっこ遊ふふびをしていた。
たくさんのぬいぐるみたちと自分が作り出したこだわりの世界で遊んだ毎日は、私の「やりたい」の最初の記憶だ。
元気に走り回れる年頃になると、3つ上の兄に着いてどこへでも行った。
山を登り、川へ下り、建設中の隣の家の屋根にも上った。
何も怖くはなかった。
どんな高いところからでもジャンプできたし、プールに背中から飛び込んだって平気だった。
チャレンジしたい、やってみたい。いつだってその衝動に素直だった。
「ものづくり」は、そんな私が小さな頃からずっと「やりたい」を貫いてきたからこそ続いていることだと思う。
お絵描きから漫画・デジタルへ、ただただ好きだったあの頃
最初の記憶は幼稚園の頃。
近所の川辺で「消防車を描こう」みたいなイベントがあり、そこで母と一緒に消防車の絵を描いた。
賞をもらい、とても嬉しかった記憶がある。
小学校にあがった頃、世間ではセーラームーンやレイアースというアニメが流行っていた。
六年生に絵が上手な先輩がいて、休憩時間にみんなで教室へ行きノートにキャラクターの絵を描いてもらうのが好きだった。自分でも上手く描けないかと練習をした。
三年生になった頃、従姉のお姉ちゃんが「漫画家になりたい」と言うのを聞いて、私も漫画家を夢にした。
そして、クラスの友だちと学習ノートへ漫画を描きだした。
レイアースのようなファンタジーもの。実際の学校生活をリアルに描いた学園もの。あと、もうひとつは何だったか。
3つくらい連載漫画として描いていた。
自分で物語を考えるのも、友だちに読んでもらうのも楽しかった。
私がやりたくて声をかけて始めたから、一緒に描いている子の熱が冷めても私だけは描き続けていた。
食品卸の会社を営んでいた父は、会社経営のために様々なことにチャレンジしていて、新しいことにも柔軟だった。
私が10歳の時、Windows95が家庭用パソコンとして大きな話題と共に発売されるとすぐに購入し、父の部屋にでかでかと設置された。
当時、家庭内にパソコンがあることはまだ珍しい方だったと思う。
私は、エクセルの触り方を教えてもらい「家族表」なるものをつくっていた。
あの頃は携帯電話もない時代だから、これが私が初めてテレビ以外のデジタルに触れた経験。
この先Webデザイナーとなりプログラム言語を書くようになるのだが、このエクセルでつくった「家族表」がそのはじめの第一歩だった。
「同人活動」との出会い、夢は漫画家!
中学にあがると、イラストが好き同志で仲良くなった友だちの影響で「同人活動」の存在を知る。
「同人活動」とは、漫画やアニメ、ゲームなどの二次創作やオリジナルのストーリーで書籍やグッズを自主制作し、即売会などのイベントで販売や交流を楽しむ活動のことだ。
初めて友だちに即売会へ連れて行ってもらうと、私は途端夢中になった。
たくさんのチラシを手に取り、レターセットや本を買って帰っては好きなアニメや漫画の話で盛り上がった。
即売会はその頃の私にとって一番楽しい行事だった。
一緒に行く友だちと絵文通もした。
授業中にルーズリーフにイラスト付きの手紙を書く。長方形やハートの形に折って、移動教室ですれ違う時に渡し合った。
友だちはすごく絵が上手で、手紙をもらうのが楽しみだった。
二年生になって、初めて自作の漫画を雑誌に投稿した。
10代で漫画家デビューなんてかっこいいじゃん!という思いのもと、実力なんて顧みることもせず真っすぐに突き進んだ結果だ。
原稿用紙を揃え、ペンやインク、トーンを揃えた。
描き方もよく分からないから、コマ割りの最初の罫線を引くときに、もの凄くドキドキしたのを覚えている。
下描きをするのも、それにペンを入れるのも、トーンを貼るのも。全部全部が初めてだらけ。
とあるコマで使用したかった特別なトーンが福山にはなくて、父に頼んでわざわざ広島市の東急ハンズまで買いに行った。こだわりを貫くところも相変わらずだ。
これでいいのかなんてよく分からなくても、とにかくやってみたかったんだと思う。
投稿した結果はもちろん一番下だったけれど、編集者さんから丁寧にコメント付きで返信があり嬉しかった。
さらに没頭する「ものづくり」の世界へ
高校にあがると同時に、見て買うだけだった同人という活動を自分でも始めることにした。
中学のときに同人活動を教えてくれた友だちに一緒にしようと声をかけたが断られる。
その頃、学生の子たちはみんな仲の良い子たちとグループで活動していることが多かったので、断られた私は「どうしようか」と悩んだ。
みんな誰かと一緒にしているのに私一人で出来るの?
友だちがやる気を出してくれるまで待つ?
そんな不安や迷いが湧いてきたけれど、私の「やりたい」気持ちは揺るがなかった。
一人で不安で分からないことだらけだったけど、やる!そう決めて、自分の気持ちに正直に、一人で活動を開始した。
友だちが欲しかったので、即売会で集めたチラシの中でイラストが好みの子にメールをし、文通友だちになってもらった。当時、同人活動をする人たちは文通を通してやり取りをするのが普通だった。
中学時代と同様に文章にイラストを添える絵手紙や、即売会で買ったお気に入りの便箋に好きだったアニメや漫画の話を書いた。
活動を進めていくうちに、更にたくさんの友だちが増えた。
同じ漫画が好き、アニメが好き!という話で、年齢問わず盛り上がれた。
即売会では必ず好きな作家さんのところへ行って差し入れを渡し、イラストを描いてもらい、新作の本やグッズを買った。
チラシを作るのも本を作るのもお金がいるし、アルバイト代はすべて活動費に消えた。
初めて本を作るとき、近所の印刷屋に原稿を持ち込み相談した。
出来上がった本の段ボールを自転車のカゴ(に入らないので上)にのせて、片手で抑えながらウキウキと自宅へ帰った。
初めてネット印刷で注文した4色カラー本は、ぴかぴかのコーティング加工が施された光沢紙で今までの本より一層豪華に見えた。
へたくそな絵で全然売れないし在庫ばかりが部屋の箪笥にたまるけど、自分で調べて自分で頼んで出来上がったものはなんだかとても愛おしい存在だった。
この頃、父が自社のホームページをつくっていたのを真似て、私もホームページをつくっていた。
WEB黎明期の当時、「ようこそ、マイホームページへ」といったバナーを掲げ、マウスを動かせば何かが付いてきて、ページ上には雪が降っているような面白く楽しい時代だった。
私は当時描いていたイラストをのせるホームページをつくった。
背景を透明にするためにプログラム言語を自分で調べて書いたり、CGIという専門的な仕組みを組み込んで掲示板を設置したりした。
Webの仕事を始めたとき、プログラム言語やCGIといった専門的な知識が既にあったのはこの時の経験のお陰。
新しいことに挑戦する父を真似することで、私も小さい頃から時代に乗り遅れない新しいものに触れさせてもらっていた。
好奇心のまま夜通しホームページをつくっていたので、よく父のデスクに突っ伏したまま、そしてネットにつないだまま寝てしまっていた。
その頃ダイアルアップという電話回線を利用した接続方法でつないでいた我が家では、電話代が恐ろしい額になって怒られていた。