第3章|私をかたちづくる言葉と小さな挑戦
勇気と自信をくれる言葉たち
リーダーの仕事に慣れてきた頃、披露宴ではなく大聖堂での挙式を担当していたアルバイトスタッフが問題を起こし、急遽私がその穴を埋めることになった。
その日に突然言い渡され、翌日フル稼働の9本の挙式を滞りなく行う必要があった。
不安で不安で仕方がなかった。
私はずっと披露宴の担当で挙式会場を見たことがなかったし、宴会場のように担当社員や他のアルバイト仲間が居るわけではなく、たった一人で挙式進行をしなければいけなかった。
そんな環境で9本の挙式を無事に終えることができるのか。
でも、やるしかない。
突然始まった研修で出来うる限りのことを学び、当日を迎えた。

一人で担当する初めての朝。
牧師役の方に挨拶をしたら「楽しんで!」と握手をしてくれた。
私にとってその言葉はものすごく衝撃だった。
不安で不安で仕方がないし、大学受験失敗の時に生まれた「極限まで努力しなければ」という信念から、何かを行うのは常に苦しみ努力するものだと思っていたからだ。
不安な状況や気持ちさえも「楽しむ」ということは、実際にはそんなに簡単なことではない。
だけど、そんな風に捉える発想に驚き感銘を受けた。
今でも、不安や迷いに飲み込まれそうになった時に思い出す、私にとって大切な言葉をもらった瞬間だ。
他にも式場バイトで人生を変えるような言葉をもらったことがある。
それは、アルバイト仲間の男性が「なっちゃんの笑顔にはパワーがあるよね」と言ってくれたこと。
私は母から「大きい口を開けて笑わないの」と育てられていた。
だから、小学生の時のプリクラはうまく笑顔が作れなくていつも口をへの字にしていた。
中学生になった時、こんな自分を変えたいと思って鏡に向かって毎日笑顔の練習をした。
だけど、母から否定されていた自分の笑顔に自信なんて微塵もなかった。
そんな私に彼がくれた言葉は衝撃だった。
「え?私の?あのへの字の顔しか出来なかった私の?!!」と本当に驚いたけれど、この言葉のお陰で私の気持ちは180度変わった。
「私の武器は、この笑顔だ」
そう思うようになった。
笑顔でいると、前より少し自分に自信が持てたし、少しだけ強い自分になれた。

20代のときにもらったこの言葉たちが今でも私の中で大きく存在しているのは、それまでの自分の価値観をガラリと変えてくれたから。
同じ物事も取り組み方や捉え方を変えれば見え方が180度変わる。
この時もらった大切な言葉は、それを私に教えてくれた。
自分の内側にある「情」を自覚した日
大学生活はほとんどバイトに明け暮れていた。
制作した作品をズラリと並べて教授たちがあれやこれやと批評をする講評の場に耐えられなかったし、同級生と大学生という枠の中で学生生活を謳歌するより、同じ目標に向かって頑張っているバイト仲間と一生懸命にアルバイトをして飲み明かした方が楽しかったからだ。
けれど、ここで過ごした時間は私にたくさんのものをくれた。
普通の大学では触れることができない、木工、石工、フレスコ、テンペラ、デザイン、カメラ、日本画…。様々な芸術に触れることができたし、その経験は今でも私の引き出しのひとつになっている。
そして何より、芸術の世界に生きている変わり者の教授たちの話は、私の価値観を大いに揺らした。

「土に描けばいいじゃない」
お金がなくて画材を買うことができない、と相談した友だちに教授が言ったセリフだ。
衝撃すぎて長半紙に書いてアトリエに貼っていた。
どんな状況でもできることはある、やろうと進めと言われたような気がした。
登山で遭難したり、砂漠の真ん中で迷子になり寝そべったり。
教授たちから聞く話はいつも自分の想像を超えていた。
だからこそ、「今」を真っすぐに生きろと言われているような気がした。明日死んでもいいように、今を生きろと。
大学一年の時に受講したカメラ実習でカレンダーを作成するという課題が出た。
私は、身近な同級生やアルバイト先の同僚の顔写真を撮って、12カ月それぞれの写真としてカレンダーにはめたものを提出した。
その時、教授に言われた言葉がとても印象的で、今でも覚えている。
「あなたは、情の人だね」
教授の意図したものが本質的に何だったのかは分からないけれど、私は「愛情をもって人を見ているんだね」と言われた気がした。
そしてそれは、自分が思う「自分の姿」とはかけ離れたものだったのでとても驚いたのだ。
だって、学校という枠組みが苦手だったし、同級生と馴れ合うような関係もつくりたいとは思わなかったから。
けれど、教授は私が撮影した写真を見て「あなたにしか撮れない写真だ」と言ってくれた。

今になって思えば、恥ずかしそうにはにかんだり、ふざけて笑ってみせたりしたその瞬間を私自身が写真として切り取っている事実が、私が「情の人」という証だ。
その笑顔を私自身が大切に思っているから、その瞬間にシャッターをきった。
教授が言ったことはきっと、そういうことだったんだと思う。
だから私はこの時から「私って人が好きなんだ」と自分を認識するようになった。
きっとずっと好きだったんだと思う。
だから、人と関わることにずっと悩んでいた。
好きだから嫌われたくなかった。
好きだからひとつにつながりたかった。
今も「すべての人の心地よさ」にこだわるのは、きっと私が「人が好き」だからだ。
20歳、初めての一人旅をしたニューヨーク
私にとって大きなチャレンジだった出来事がある。
それは、20歳のときにニューヨークへ一人旅をしたことだ。
一人でイタリア旅行をした友だちの話を聴いて憧れを抱いた私は、次第にニューヨークへ行きたいと思うようになる。
世界的に有名な美術に触れたいという気持ちと、最先端の街を肌で感じたいという気持ちからだ。
同級生を誘ったけれど誰もついてきてくれなくて、どうしようかと散々迷った挙句、やっぱりやりたい気持ちに正直に、一人で行くことを決意した。
決めたその日に20万の大金を握りしめて旅行会社へ行き、お金を払わないとキャンセルできない2週間後のツアーへ申し込んだ。
いきなり一人で海外へ行くと言い出したので、心配した両親は激怒した。
でも、私の決意は揺るがなかったし「キャンセル料を払わなきゃだからもう中止にできない」と言って自分の意志を貫いた。

正直、不安も多くあった。
私が申し込んだのは、添乗員について行くだけのツアー旅行とは違い、滞在中も自由なフリーツアーだった。
せっかく行くのだから、自分の好きなところに行き、好きなものを観て、好きなものを食べたかったからだ。
一人で空港まで行き飛行機を乗り換え、移動も公共交通機関を自分で取捨選択する必要があった。
だから、「ちゃんと出来るだろうか」という不安に飲み込まれないように、誰にも相談せずに後戻りできない直前のツアーに申し込んだ。
「やりたい」気持ちを絶対に叶える。
私の中の決意がそうさせたのだ。
あの時、思い切って「やりたい」気持ちを叶えて本当に良かったと思っている。
英語はほぼ話せない中、ブロードウェイのミュージカルを観て感動して涙し、トップ・オブ・ザ・ロックという有名な場所から夜景を観て、『地球を歩こう』で目星をつけていたレストランで夕食を食べた。
テイクアウトのスープを買ってホテルの部屋で食べたことも、メトロポリタン美術館が広すぎて観るだけで疲れたことも、30分で行ける目的地にバスを乗り間違えて倍以上時間がかかったことも。
全部が私がチャレンジしたからこそ得られた経験だ。
有名なベーグル店へ行きたくて電車に乗ったら間違えて特急列車で、あっという間にマンハッタンを出て治安の悪いエリアに行ってしまったときは「私、死んだかも」と泣きそうになったけど(いや多分泣いていたけど)、そのすべてが私を強くしたし、今も何かにチャレンジするときの勇気になっている。
自分の心に正直に、行きたいところへ行き、食べたいものを食べ、観たいものを観た。
この経験は、この後社会人になる私の大きな自信になった。