第4章|仕事として「つくる」を選んだ道
「人」を考え続けた3年間
卒業後、大学時代のアルバイト先に社員として就職する。
ものづくりをすることが好きだったから、好きなことを仕事にするとものづくり自体を嫌いになってしまうのではないか、と変な固定概念に囚われていたからだ。
何より、結婚式場の仕事が楽しかった。だから、必要としてくれる会社に勤めることにした。
雇われる側から雇う側へ。
社員という立場で、アルバイトスタッフの教育や当日の披露宴の進行管理を行いながら、「人」というものを常に考える日々を過ごした。
人が成長や前進することに喜びを感じられること、それを共に喜べる仲間がいる居場所であることを大切に、スタッフが楽しいと思える職場づくりをいつも心がけていた。
感謝の心を忘れずにいること、笑顔でいること、一人はみんなのためにみんなは一人のために。
そんな綺麗ごとみたいなことを大真面目に伝えていた。
卒業していくスタッフが「ここで働けて良かった」と言ってくれることがやりがいだった。

また、アルバイトから社員へと結婚式場で過ごした7年間で、全体を見ながら物事の優先度を的確に判断し行動する力が身に着いた。
秒刻みで進む披露宴のマネジメントで鍛えたこの力は、今も全体を把握しながら小さな変化にも柔軟に対応できる強みになっている。
そうして目の前のお客様やスタッフに向き合い、学び続ける日々を過ごしていたけれど、毎日人と関わり、人の成長を考え、人の気持ちを考えることは、かなりの精神的負担でもあった。
心をひとつにして幸せな時間をつくる仕事が好き。いつも一生懸命で仲間思いのスタッフも大好き。
でも、責任者という立場でのプレッシャーや結婚式という失敗が許されない環境は私の心をすり減らした。
そんな日々を過ごす中、「もう一度、ものづくりをする、ということに戻り、それを仕事にできるようチャレンジしてみたい」という想いが自分の中で沸々と湧き上がっていた。
今でも決断に迷ったときに思い出す言葉がある。
「心が気持ち良いと思う方を選びなさい」
大学4年生のとき、進路に迷っていた私は教授に「迷ったときにどうやって決めるのか」といった内容の質問をしたことがある。
その時にもらった言葉だ。
正直、当時の私には全然ピンとくるものではなかった。
教授の言う「心が気持ち良い」状態というものがどういうことなのか、全く理解できなかったからだ。
けれど、「もう一度、ものづくりをしたい」という想いに気づいたとき、ふと教授がくれた言葉を思い出した。
今後の生活は?
お金はどうやって稼ぐの?
本当にものづくりの仕事に就くことができる?
できたとして食べていけるの?
不安なことなんて数えれば山のようにある。
だけど、私の心はどうだろう。なんて言っているだろう。
「心が気持ち良いと思う方」を自分に問うてみたら、自ずと進むべき道は決まっていた。
そうして、入社した時に目標にしていた3年が近づくころ、私は退職を決意する。
その先のことはまだ何も決まってはいなかった。
でも、やろうと決めて「今」を生きたかった。
退職する最後の勤務日、今でも忘れられない光景を目にする。
全員で揃えて「おめでとうございます!」と一礼しゲストをお迎えするその瞬間、今までで一番大きな声で生き生きとした表情をしているスタッフたちがそこには居た。
「心をひとつにする」、それを体現した瞬間だった。
私が退職しても自分たちでもっと良いチームを作ろうと自主的に集まり話し合いを行ったのだと後から聞いた。
その強い気持ちと熱量が「おめでとうございます!」と一礼するその瞬間にこもっていた。
今まで伝え続けた綺麗ごとは紛れもなくスタッフたちに届いていたのだと感じ、私はその時泣いた。
私が見たかった最高のチームがそこにあって、大好きだったスタッフとの心のつながりを感じた出来事だった。

リスタート、ものづくりを仕事に
私の新しい挑戦が始まった。
ものづくりを仕事に、と思いデザインを勉強しようと学校を探した。
相談に行ったヒューマンアカデミーの担当者さんが「これからはWebの時代ですよ」と勧めてくれたことをきっかけにWebデザインの勉強をはじめる。
学ぶだけでは暮らせないので、少しでもデザインに触れられる会社をと何社も落ちながら探した。
そして、やっとの思いで雇ってくれた小さな町の印刷屋さんで働きだした。
オンデマンドでの原稿作成や印刷の仕事は、小さいながらもグラフィックデザインや印刷現場のノウハウを学べる機会になったし、学校では講義や課題を通してWeb制作の基礎を教わった。

学ぶことはとても楽しく、充実していた。
最後に、ひとつのWEBサイトをつくる課題を出された。
私は勤めていた印刷屋さんのWEBサイトを制作した。
働いて帰って、夜通し疲れて寝てしまうまで。
高校生の時、父の机に突っ伏して眠ったあの日のように、一人暮らしの小さな机にノートパソコンを広げ、その横で気絶したように毎日寝ていた。
学校を卒業したものの、実務未経験での就職は難しかった。
複数のデザイン会社に応募するがことごとく落ちていた。

そんな中でも、得るものはあった。
「1ピクセルを大切にできないヤツに良いデザインはできない」
「余白を描け」
これは、面接を担当してくださった社長さんや部長さんに言われて特に心に残っている言葉だ。
見る人には全く分からない細かな部分へのこだわりが、使う人に心地よい体験を提供すること。
そしてその快適な体験が、物やサービスをお客様に届けることになる。
この言葉の意味をそう理解している。
私にとって物やサービスとお客様との出会いは、人と人がつながり満足や喜びという気持ちを通わせることなのだ。
だから私は、この「つながり」をつくるためにものづくりをしている。
そしてそのために、面接に落ちまくっていたあのときもらった言葉をずっと胸に留めてデザインと向き合っている。
目の前のことを一生懸命にやり続けた契約社員時代
就職に困っていたころ、広島県の就職支援事業がスタートし私も参加することにした。
派遣会社の契約社員という形で企業へ出向し、契約終了後に出向先で正社員雇用されることを目指す事業だ。
私は、Webの部署がある印刷会社へ出向した。
デザインの仕事がしたくて出向していたのに、実際は工場で印刷物の包装をしたり、観光サイトに載っている約3600件の対象施設に手紙と電話で延々と掲載許可を取ったり、1日中年賀事業の校正印刷をしたり。下働きのような仕事をしていた。
それでも、目の前の仕事をただ一生懸命にした。
どんな仕事でも自分の強みはアピールできるし、私ならそれができると信じていた。それが、デザイナーになるという目標に近づくためにその時私ができる精一杯だった。

契約後半のメイン業務だった年賀事業では、毎年来る常連パートさんばかりで「若い子が来たけど大丈夫?」「この子ちゃんと仕事できるの?」という冷ややかな視線で常に見られた。
正直、そんな空気の事業部に行くのはすごく嫌だった。
だけど、それを変えるのも自分の行動次第だと分かっていたんだと思う。だから、必死にルールや業務を覚えた。
そのうちに、オンデマンド印刷の補助を任されるようになる。
たまたま、印刷機の担当パートさんが急遽お休みになり、印刷機4台をすべて任されることになった。
私は印刷屋での経験があったため印刷機の扱いには慣れていたし、任せてもらえればやりきる心づもりはできていた。
そうして、効率を重視しながら大量の年賀状を捌き切ると、周りのパートさんの目は一変した。

いつだって変えられるのは自分の行動だけだ。
だから、自分が今できることを精一杯にする。そして、訪れたチャンスを取りこぼすことのないように準備しておく。
そうすれば、自ずと結果はついてくるということを、この時の経験が私に教えてくれた。
その後、地元である福山に帰ることを決める。
大切な家族や友だちと年に数える程度しか会えない現実を変えたいという想いが大きくなっていたからだ。
それを決めたのと同じタイミングで地元の求人へ応募をし、最初に面接をしてくれたWebページやシステムの制作会社へ就職が決まった。